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徳島地方裁判所 昭和40年(わ)416号 判決 1966年12月16日

被告人 林衛

主文

被告人を罰金一五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納しないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

公訴事実中、業務上過失致死の点は無罪。

理由

第一

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四〇年三月一七日午前〇時二〇分ごろ、普通乗用自動車を運転し、徳島県鳴門市内の小鳴門橋上道路のほぼ中間を北進中、同道路の中央線付近において酩酊してうずくまつていた高谷苞文(当三〇才)の頭部等を右前輪で轢過し、よつて同人を死亡または負傷させたかもしれないことを知りながら、その直後、同橋料金所に引きかえし、同所において、同乗者の兄林文明らとともに同所管理事務所職員阿部肇に対し救急車の手配方を依頼したにとどまり、道路交通法七二条一項後段に規定する第一次報告義務者であるにもかかわらず、右のような車両の交通による人の死傷の発生の日時および場所等同法条に定める事項を、直ちに、もよりの警察署の警察官に報告しなかつた。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用ならびに量刑理由)

被告人の判示所為は道路交通法七二条一項後段一一九条一項一〇号にあたるが、判示のように、被告人は同乗者らとともに事故現場付近の料金所職員に対し被害者についての救急車の手配方を依頼したところ、右職員により、道路交通法七二条一項後段に定める事項について十全でなかつたことは遺憾であるが、概括的にせよ、電話により直ちに、もよりの警察署の警察官に通報されたことがうかがわれ、その後、当初の目的地に向い発進したことがあるものの、結果において、本件事故についての警察官の捜査上重大な支障を来たさなかつたことが認められるので所定刑中罰金刑を選択し所定金額範囲内で被告人を罰金一五、〇〇〇円に処するを相当と認めるものであり、右罰金を完納しないときは、刑法一八条により、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとする。なお、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により、被告人に負担させない。

第二公訴事実中、業務上過失致死の点が無罪である理由

(右公訴事実)

「被告人は、車両運転の業務に従事しているものであるが、昭和四〇年三月一七日午前〇時二〇分ごろ、普通乗用自動車を運転し、鳴門市内小鳴門橋上道路付近を時速約五〇キロメートルで北進中、たえず自車進路前方および左右を注視し、交通の安全を確認して進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これをおこたり、助手席の同乗者と雑談し、進路前方を注視しないまま進行した過失により、自車前方道路を中央線付近に酒に酔つてうづくまつていた高谷苞文(当三〇才)を至近距離になるまで気づかず自車前輪で同人を轢過し、よつて同人に対し頭蓋骨々折、脳挫傷の傷害を負わせ、右傷害により同日午前一時一〇分ごろ鳴門市撫養町黒崎所在の鳴門病院において死亡するにいたらしめた。」

(当裁判所の判断)

思うに、自動車運転者は、常にその進路の前方および左右方を注視し、交通事故を未然に防止するに足る細心の注意を払い、交通の安全をはからねばならないのであるが、これは業務上当然の義務であつて、交通事故が発生した場合に、相手方の過失を口実に、常にその責を免れることはできない。しかし、自動車運転者は、交通事故の発生があつたにもかかわらず、その当時の状況からみて、これを避けることができなかつたであろうと認めるのが相当な場合は、その責を負うべきでないことはいうまでもない。

飲酒酩酊した者は、第三者にとつて予測し難い異常な行動をとることがある。だからといつて飲酒酩酊者は、公道において、うずくまつたり、横臥したりする権利をもたない。ましてや、自動車等の近代高速交通機関の往来する公道においては、なおさらである。自動車運転者は、運転する際における、日時、天候、道路ならびにその付近の状況等からみて、飲酒酩酊者が、突然に進路に出現する事態、また、あるいは進路前方でうずくまり、あるいは横臥し、人間であるかどうか判別し難い状況の発生が予測できると認められるような場合でないかぎり、いちおう、飲酒酩酊者が、自身または周囲の者の適切な誘導により、安全維持のために必要な行動をとるものと信頼すれば事足るものと解すべきである。なぜなら、自動車運転者が、もし、右のような飲酒酩酊者の行動がいつ起るやも知れぬと考えて交通事故の惹起をおそれる余り、萎縮しながら運転しなければならないとすれば、車両運転の目的が何であるかに関係なく、近代交通機関としての自動車の機能を発揮できなくなるからである。

本件において、司法警察員作成の実況見分調書、落合かずこの司法巡査に対する昭和四〇年三月一七日付・一八日付(前綴りの分)各供述調書、証人山本太一および同篠原正幸の当公廷の供述、司法警察員篠原正幸および寺西慶裕作成の昭和四〇年三月一七日付捜査報告書、司法警察員岡久圭一作成の鑑定結果回答書(警察技師岡田文作成の鑑定書をふくむ)、被告人の当公廷の供述、同人の検察官に対する供述調書、同人の司法警察員に対する昭和四〇年三月一七日付・一九日付各供述調書、四方一郎作成の鑑定書、医師鎌田一一作成の死体検案書をあわせ考えると、被告人は、車両運転の業務に従事しているものであるが、昭和四〇年三月一七日午前〇時二〇分ごろ、徳島県鳴門市内の小鳴門橋上道路のほぼ中間において、普通乗用自動車を運転し、時速約四五キロメートルで北進中、助手席の女性の同乗者と雑談し、進路前方注視をおろそかにしたため、右道路の中央線付近において飲酒酩酊しうずくまつていた高谷苞文(当三〇才)を、その手前約二〇メートルに接近してようやく発見したが、右のような同人の姿勢から人間であることが全くわからず、かつ折柄深夜であり、小雪の降る天候でもあつたのでよもや人間が橋上でうずくまつて静止しているものとは予想しなかつたところから、人間以外の砂・土等の障害物が橋上に置かれているものと考え、これを避けるため、やや減速すると同時にやや左にハンドルを切つたにとどまつたが、自車右前輪で右高谷の頭部等を轢通過し、よつて同人に頭蓋骨々折・大脳後部小脳全般にわたる軟脳膜下出血を与えたことにより同日午前一時一〇分ごろ同市撫養町黒崎字小谷三二の健康保険鳴門病院において死亡するにいたらしめたことが認められる。

右認定のように、被告人は、助手席の同乗者と雑談し、進路前方注視をおろそかにしたため本件被害者の発見がおくれたのであるが、もしも、その発見がもう少し早く、しかも進路前方の障害物が人間であることに気づいて急停車し、またはそれが人間であるかもしれないと考えることができたためその手前でいつたん停車して右の疑念を確かめれば本件死傷の結果を惹起させないですんだであろうことが容易にうかがえる。なるほど、司法警察員福島正美作成の昭和四〇年三月一七日付捜査報告書中、「現場の模様」の項に「道路は直線で何ら障害物がないため自動車の前照灯で照射すれば約五十米前方の障害物が何であるか十分識別することができた」との記載があるが、一般に、道路上に、あらかじめ、その何であるかについての知識を抱いて障害物を置き、これに自動車の前照灯を照射すれば、そのいうように「その障害物が何であるか十分識別することができ」よう。しかし、何らの予備知識を抱かずに障害物を置かれ、かつ、それが司法警察員篠原正幸作成の昭和四〇年三月一七日付捜査報告書添付のカラー写真により認められる本件被害者の着衣のような光線に対する反射率の低い色彩を有し、また本件現場のような近代的橋梁上の公道において、前示落合かずこの司法巡査に対する供述調書中被告人が本件被害者を発見するより以前にこれを発見したが人間以外の障害物であろうと考えて被告人に注意を与えなかつた旨の供述記載および被告人の当公廷におけるならびに前示同人の司法警察員に対する供述調書中右落合かずこよりもおくれて本件被害者を発見したが同様に人間以外の障害物であろうと思つて前示認定のような減速とハンドル旋回の措置をとつた旨の供述あるいは供述記載からうかがえるように、通常予想できる人間の形状でない物体の存在を進路前方に発見した場合に、はたして「その障害物が何であるか十分識別することができ」るであろうか甚だ疑問である。まして本件当時のように小雪の降る深夜において、右のような公道の中央線上に、飲酒酩酊者がうずくまつていた場合には、なおさらであり、よもや、「その障害物」が人間であるとは、被告人にかぎらず、予想もつかないことであり、かつ人間であるかもしれないという疑念すらも、被告人にかぎらず、持たないであろう。

当裁判所は、本件事故現場において、当夜と同一またはきわめて類似の場面を、とくに小雪の降る天候を再現し、危険をともなう橋上において実験検証することができないことを遺憾に考えるものであるが、右に考察したところから、本件事故当時、被告人は、前示捜査報告書のいうように「自動車の前照灯で照射すれば、約五十米前方の障害物が何であるか十分識別することができた」ものとは即断し難いと認めるのである。

従つて、かりに、被告人が助手席の同乗者と雑談せず、または雑談していても前方および左右方に対する注視をおろそかにすることなく、本件被害者を前示認定のように約二〇メートルよりも手前、あるいは右捜査報告書のいうように「五十米」手前で発見できたとしても、やはり、本件被害者に対する視覚の認識内容においては、単なる人間以外の何らかの障害物でしかなく、そのような障害物を、いかなる場合にも轢過しないように、また損壊しないように細心の注意をもつて自動車を運転しなければならない義務があるというのであれば格別、依然、前示認定のような減速とハンドル旋回の措置をとつたにとどまり、本件事故と同一の結果を惹起したことであろう。

結局、本件当時の日時、場所、天候の状況からすれば、本件被害者のような着衣と姿勢にあり、さらに橋梁上の公道の中央線付近に静止する飲酒酩酊者がいた以上、本件事故の発生は、被告人にとつては、進路の前方および左右方に対する注視の態様がどうであつたかにかかわらず、未然には防止できなかつたものであろうと認めるのが相当であり、被告人にひとり、その刑事責任を負わすべきでないと考える。

その他、本件において、被告人の注意義務の違背を認めることによりその過失を肯定するに足る証拠はない。

以上の次第であるから、本件公訴事実中、業務上過失致死の点は、その犯罪の証明が十分でなく、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 吉川寛吾)

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